■ 名誉/Honor

荒れた手にクリームを塗る。
クリームの濃いにおいの隙をついて、今朝、咲いたばかりの花の香りが漂ってきた。咲いたばかりの花はしっとりとうるおっている。
そんな花を見るだけで、疲れをすべて忘れていたころもあった、でも今は。
乾いてヒビの入った手を眺めて、ため息をつく。
今でも、そんな花は好きだ。
でも、いつからか疲れは残るようになって。
花ばかり見てきて飽きてきたのか、それとも・・・考えないようにしていたけど、いつからか・・・好きなことだから続けてきたはずだったのに。

いつのまに、どうしてなのか、自分でもわからない、答えのないこと。
それが好きなことなのだと思うけど、好きでないことも同じこと、で。

ボーン・・・と、柱に掛けた時計が鳴り出す。
いけない。ぼんやりしすぎた。慌てて花を入れた籠をチェックし、荷馬に積んで店へ向かう。「おはようございます」お店へ着くと、店員のみんなが挨拶してくれる。「おはよう」と挨拶しながら、店員ひとりひとりに担当の花を渡していく。
花を渡し終え、開店を確認したら、また花畑へ戻って、水遣りをしたり虫をとったり、花の世話をする。夕方にはまた店へ戻り、売上の確認をし、伝票をつける。それから種蒔きのスケジュールをたてたり、在庫の確認をしたり・・・たまの外出も、花の世話に必要なモノばかりを買って、花のためにすべてが巡る日々。

立ち止まれば花が枯れてしまうから・・・花を咲かすためではなくて。

立ち止まってはいけないと思ったときから、気づけばぼんやりと、とりとめのないことばかり考えてしまって、結局、立ち止まってるじゃないかと苦笑する。
でも仕事はしているもの・・・考えているだけ・・・でも。
今の暮らしは嫌いじゃなく、壊すつもりにもなれないから、今の暮らしが好きなのかな。
でもどこかでなにかが違うと囁く。
なにかが足りないのかな?でも、なにが欲しいのかわからない。
そして日々は巡り花が咲く。

そんな日々が巡り・・・クリスマスが近い、ある夜だった。
花畑の小屋で伝票をつけ終え、今日の仕事を終えようとしたら、夜中になっていた。クリスマス前はたくさん売れるので、仕事がいつもの倍になっていた。忙しくても気分だけでも、と小屋に飾ったツリーには、蜘蛛が巣を作って、オーナメントにはホコリが被ってしまっていた。でもツリーの掃除をする気にはなれず、花の世話をするための道具を確認する。すると薬をいれた樽が空になっているのに気づいた。明日、仕事が増えるのがイヤで、仕方なく、すり鉢に材料をいれゴリゴリと薬をつくりはじめた。
ロウソクがユラユラとゆらめく。
昼間の疲れもあって、気づかないうちに眠りに落ちていた。
「カリコリポリ」
「カリコリカリ」
小さくて軽やかな音で目が覚めた。
机の上の、種を仕舞ったチェストの前に、小さな影が見える。
目をこすって、よくみると、洋服を着たネズミが両手で種を持って、かじっていた。
「ありゃ。こんばんわー。珍しい種がいっぱいいーっぱい!おっと、黄色の種!しかもタロイモじゃないか!!いっただきいただきまーす。ポリンポリン」
「た、食べちゃダメ!」
私は慌てて、ネズミから種を奪い取る。
「えー。もう、かじちゃったから、芽もでっないでなーい!」と、ネズミは私の手から種を奪い返し、「カリコリポリポリ、ゴクン!」とすごい勢いで全部食べてしまった。
「もう、あげないから!」私はチェストの前に腕を伸ばして、引出しを開けれないようにした。
「えー。たまにお手伝いしてあげてるのにー。もうちょっとちょっとだけ、ほっしーほしーな!」
ネズミはピョンピョンと飛び跳ねた。
私がネズミを睨みつけながら「お手伝いってなによ?」とたずねると、ネズミは胸をはって「ふっふーん。こっそりこそーり、お手伝いしてるから、気づかなかっただろ!!」と自慢した。
「頼んだ覚えもないし、知らないうちに仕事が終わっていた覚えもないわよ!」
「ふっふーん。感謝、するんだぞ!」
「だから、なにを!?」
「ふっふーん。種、ほっしーほっしーな!」
ネズミはまた、ピョンピョンと飛び跳ねた。仕方なく、私はチェストから種をヒトツ取り出した。
「答えたらあげるわよ・・・だから、お手伝いってなに?」
ネズミは飛び跳ねるのをやめて、ニッコリ笑って胸を張って言った。
「種がなったらっ!草とか木に!!種がなったらー、とるの!!」
「とって?」
「とって!カリコリゴクン!って、いっただきいただーきするのー!」
私は持っていた種をネズミに思いっきり、ぶつけた。
「いったぁぁぁぁい!ひどいよ!!」
「ひどいのはどっちよ!がんばって育てて作った種、食べるなんてひどいわよ!」
「お手伝い!それがネズミのお手伝いー!!」
「人間にはただの泥棒よ!!」
ネズミは涙目になりつつも、ぶつけた種を拾って「カリコリ」とかじった。
「だってネズミだもん!ネズミとして、がんばってがんばーってるもん!!感謝して!!」
「だから人間にとっては、ただの泥棒なの!泥棒に感謝する馬鹿はいないわよ」
「馬鹿じゃないもん!わかってないなー、よし!」
ネズミは種の欠片を持って、ピョンと、チェストの上に飛び乗った。
「おねーさんは、いつも、いっぱい花を咲かせて、いっぱい種をつくって、がんばってえらいです!ごほうびとして、ネズミも、いっしょにこっそりがんばります!」と言って、ペコリと頭をさげた。私が黙って見ていると、しばらくしてから頭をあげて「ね?嬉しいでしょう?」と笑った。
「嬉しくないわよ!」とネズミの頭をペチンと叩いた。
「いたぁい」といいながら、涙目のネズミはチェストをおりて、種の欠片を「カリコリゴクン」と食べ終えた。
「くすん。嬉しくないの?」
「泥棒にがんばります!っていわれて嬉しい馬鹿はいないわよ!」
ネズミはうつむいて、すこし黙ってから、しょげた顔で言った。
「おねーさんほど、上手にお花を咲かせることができる人はいないかもしれないけど、でも、他の人にも、お花を咲かすことはできるの。でもね、おねーさんのことは、おねーさんしかできないの」
「・・・え?」
「がんばってること、誉められて嬉しくないの、きっと、よくないの」
ネズミはじっと、私を見つめた。
「いやだから、泥棒はよくないから・・・」
なんでだろう。私はうまくネズミに返事ができなくて、ネズミから目をそらす。
「あのね、ママが教えてくれたの。ネズミはネズミの足でしか歩けないから、ちょっとしか歩けないの。いっぱい歩けるのは、うらやましかったりするけど、きっと、いっぱい歩けると気づかない素敵なものが見つかるって・・・」
だから何?と思いつつ、返事ができない。
「・・・ネズミは、ネズミの足だから、馬の脚になれないからって、なげいたりしないで、ネズミの足であることを誇れるように歩きなさいって・・・」

鳥の声がする。
机から顔をあげると、窓から朝日が差し込んでいた。窓を開け放つと、痛いぐらいに冷たい空気が流れ込む。
明るくなった部屋で、あらためて机の上を見ると、空っぽのすり鉢が置かれていた。樽を確かめると、薬が一杯になっていた。
途中で居眠りしたはずだったのに。
種をいれたチェストをあけて、数を数え、帳簿を開く。
・・・確かにヒトツ足りない。
もう一箇所、引出しをあけて、数を数えて帳簿を見ると、こっちもヒトツ足りない。
最初にネズミがかじっていた種と、投げつけた種だ。
夢じゃ、なかったのかな・・・。


クリスマスと新年のお祝いが終わり、静かな日々が戻り始めた。
私は店員のみんなに、月末に店を閉店することを伝えた。
「魔法使いになる」とか「馬に乗りたい」とか、みんな前向きに閉店後のことを考えてくれて、ほっとしながらお店の掲示板に『閉店のお知らせ』を貼りだし、閉店セールをはじめた。
花畑に新しい種を蒔くこともなく、花は減りつづけ、最後の花を摘み終えると、畑がやけに広くかんじた。小屋に戻って、テーブルの上のバスケットの中の種を数える。
黄色のタロイモの種と、あとふたつ。
あれから、バスケットの中からも、チェストの中からも、気づかないうちに種が減ることはなかった。でも、チェストには空のひきだしが増えていって・・・もうすぐ全部、空になる。

店を閉店し、後片付けをしていたときに、花畑の土地を欲しいという人があらわれ、譲ることにした。
花の世話と収穫がなくなってから、行かなくなった花畑に久々にでかけて、小屋にはいると、すっかりホコリがつもっていた。テーブルの上のバスケットにも、中に入れた種にもホコリがつもって、種は3つ、はいったままで。
バスケットごと種をゴミ箱に放り込み、小屋を片付けると、わずかな荷物しか残らなかった。
からっぽになった小屋の扉を閉めると、いつもより扉の音が大きく響いた。

花畑の土地を譲り終え、細々とした店の後片付けも、気づいたら、やることがなくなっていた。
そして私は自宅で、店のためではない、自分のための荷物を片付けてはじめて、必要なものを旅行用の鞄に詰める。気づいたら、いらないものがずいぶんとあって、捨てたり整理していたら、夜遅くになってしまった。
「カリコリカリ」
小さな音がした。私はそのとき、箪笥とチェストの引出しをひっぱりだして、整理に夢中になっていて、旅行用の鞄は部屋の隅っこにあった。
その鞄のところから、音がした。鞄を見ていると、影から「ありゃ。ばれちゃった。こんばんわー」とネズミが顔をだした。手には、鞄にいれておいた林檎を持っていた。
「・・・な、なんで、ここにいるの・・・?」
「ふっふーん。だってネズミだもーん!」とネズミは胸をはって、林檎を「カリコリ」とかじった。
「それ、旅のおやつなのに!」
「旅?どこいくの?」ネズミは悪びれることなく、林檎をかじりつづける。
私は林檎をあきらめて、「種が好きなんじゃないの?」と聞いてみた。
「ネズミはおいしいものは、ぜんぶ好き!」
「花畑の小屋に、種、置いておいてあげたのに、食べなかったじゃない?」
「ネズミにはね、バレるかな?っていうスリルが一番おいしいの!こっそりこそーり食べるのです!」
「堂々と林檎食べて、よく言うわよ!」
「ふっふーん。それより、どこいくの?」ネズミは林檎を食べ終えて、旅行鞄をじっと見つめた。私は鞄をとりあげて、「教えてあげないわ」と返事した。
「内緒にするの、よっくないよーくなーい!旅のおしたくのお手伝い、がんばっちゃうよ!」
「がんばらなくていいわよ!・・・好きな花の原産地に行こうかなって。花屋をやめておいて、花を探しにいくのも、馬鹿な話よね」
「馬鹿じゃないもん!じゃないもん!!」ねずみはピョンピョンと飛び跳ねた。
「あんたのお手伝いはいらないからね」
「ふっふーん。ネズミは、お手伝いだけじゃないんだよ!お仕事もあるから!がんばるがんばるー!」
「お仕事?」
「ふっふーん。こっそりこっそーり・・・」
私は旅行鞄から林檎をヒトツとりだし、「教えてくれたらあげ・・・」と言いかけたところで、ネズミは飛び上がって、私の手から林檎を奪い取った。
「ふっふーん。ありがとありがとぉ!ネズミのお仕事はね、たっとえば、たとえばー!ここにいること!!ネズミもおしったく、おしたーくしなくっちゃ!」ネズミは窓をパタンと開けて、外へ飛びだした。窓に駆け寄って、外を見たけど、もうネズミの姿はどこにも見えなかった。

とりあえず。オヤツの林檎を多めに、あと種も少し持っていこう。